2014年7月20日日曜日

昭和天皇の鷹匠・花見 薫 追悼「ぬくめどり」上映会


花見薫鷹師(C)福田周平

市川の皆さんと膝を交えて交流

7月12日(土)市川市民会館 4F和室

花見薫鷹師
元宮内庁新浜 埼玉両鴨場長 諏訪流16代鷹師
1911 - 2002年07月11日91歳で亡くなりました。


千葉県行徳にある内庁新浜鴨場長花見薫鷹師の命日にちなみ、市川市で「ぬくめどり」の上映会を開きました。
映画スタッフ一同が、まず花見さんが眠る徳蔵寺にお参りし、上映会成功を祈りました。


上映会スタート・・・

司会進行の平林プロデューサーが東京湾と行徳と街のありかたと市川での開催に地元への御礼を述べました。




花見師匠への想いを語る
トークでは、田籠鷹師が花見薫師匠に対する思いを述べられ、こみ上げるものがありました。師への並々ならぬ思いを語りました。
花見師匠の門をたたいたときには、「教えない」と門前払いを食い、最期病床で「死ぬまで鷹匠を辞めるな」と言われたことがありがたかったと。







そして、UAEでの鷹の祭典に参加したときに、たった1週間で鷹を調教してしまい、アラブの鷹匠たちが、日本の技術の高さに驚き、田籠鷹師への態度が一変した話を紹介。花見先生に教えて頂いたことが生かされたことに涙ながらに語りました。また、花見先生が「門下生の手を握っていいのかい?」と
田籠鷹匠にきいてきてはにかみながら、女性の門下生の手を握った話など、おちゃめな人柄の紹介では会場が笑につつまれました。



世界へ向けてスタート

海外に鷹狩文化を紹介している大塚鷹匠からは、花見先生の人柄などの思い出と、鷹狩が世界文化遺産に登録されていること、アラブでの鷹狩の模様など、海外の鷹狩の状況を紹介しました。また、この映画が文化庁の支援を受けたことにより、放鷹文化を広く知らしめることができること、地元での上映会開催について市川市の皆さんに感謝の気持ちを語りました。




映画は行徳から始まった
杉浦監督より、映画製作のスタート時、御猟場周辺取材した折に、花見さんをご存じのお年寄りたちに出会い、「花見さん?ここに住んでたのよ」と話が盛り上がり、地元の皆さんにも愛されていたのだと思ったエピソードを語りました。また、田籠師匠や大塚鷹匠から花見先生の話を伺っており、映画作製中も、ずっと花見さんが見守っていてくれたのでは、花見さんの思いを語った。


トーク後半には、諏訪流放鷹術保存会の門下生が鷹と登場。ハリスホークという鷹であることなどの説明がありました。上映会には、花見さんのお孫さんたちにも来て頂き、この映画が地元の皆さんのお役にたてたことが何よりでした。



畳の上で膝と膝を交えて、和気あいあいの上映会を無事終了しました。諏訪流放鷹術協会の皆さま、運営スタッフの皆さんありがとうございました。

皆さんありがとうございました!
会場が和室で,障子から光が入るので、黒いラシャ紙で目張り。それでは美しくないと、ポスターを張る。座敷には座布団と座イスを並べる。足の悪い方には、座卓に布団を並べて簡易椅子を発案。ステージにはスクリーンとプロジェクターを設置し、映像、音の調整は、上映員会市川支部の椚山さん。花見さんの写真や銅像を飾る飾り棚を作る。事務所で使っていた小さな画架に花見さんの著書を飾り、アラブで飼ってきた透かし織の白布に、紫色の布を重ねた。東京本願寺から頂いた大判の風呂敷です。紫いろに白のイチョウが抜いてあり美しい。花見さんの写真を引き伸ばしてくれた大極カメラマンありがとうございました。
そして、備品の運搬や送迎で車をだしてくれた筒井さん、ありがとうございました。稲荷寿司や煮物を作ってきてくれた平林プロデューサーの奥様ありがとうございました。

それから諏訪流放鷹術保存会の皆さま本当にありがとうございました。
皆さんのお陰で、花見薫鷹師追悼上映会を無事終わることができました。


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