2013年12月29日日曜日

正月、浜離宮恩師庭園に向けて特訓!

12月26日
正月の放鷹術披露のリハーサル
2014年1月2日、3日の開催される放鷹術実演会。門下生の菊池さんは今年手に入れたオオタカを連れて浜離宮恩賜庭園で周囲の環境に慣らします。
 
 
 近くの高層ビルから鷹を放ち、下降させる技のリハーサル。田籠鷹師が庭園で鳩を振ります。その鳩をめがけ降下するのですが、この日、翔雲はご機嫌ナナメだったのか・・・・庭園に下りず、ビルの谷間に逃げ込んでしまいました。


鳩で鷹を呼び寄せる田籠鷹師

放ったビルの左側のビルに向け、逃げた鷹を再び呼び寄せる

庭園の環境に慣らす訓練。木に鷹を放ち、鷹匠のこぶしに呼び寄せる
渡りは2回うまくいきました

2013年12月24日火曜日

「鷹祭」

ウオームアップ「ぬくめどり」!

12月20日(金)18:30~23:00
会場:マロウドイン赤坂

最初に登場したのは、北京から前日帰国された、中国人書家の熊峰(yuho)先生による書。
気迫で書いた書には、鷹の横顔が・・・。
熊峰先生は、上海万博の日本館を担当され、世界の書家100人にも選ばれています。


ものすごい気迫に、会場がし~ん。


右はボスのボス、映画のプロデューサー平林猛
鷹の登場

駆けつけてくださった諏訪流17代宗家田籠善次郎鷹師と
大塚紀子鷹匠。そして、サプライズゲストは、時天空関。





映画プレプレ試写会

まだまだこれからも撮影は続きます。
ご覧になった皆さま。完成を楽しみにしてください。



めくるめくアーティストの皆さんの競演

「鷹祭」の場を楽しく盛り上げてくださったのはたくさんのアーティストの皆さん。
北京の歌姫、サージュの歌。実は、会場に漫画家の姫川明月さんが来られていて、
「スプリガン」のファンとのこと。サージュは「スプリガン」のテーマソングをうたっていたので、感激の出会いとなりました。


そして、草原の貴公子、内モンゴルのヨンさまといえば、馬頭琴奏者のセーンジャー。パーカッションの武藤智史さんとジョイント。迫力ある演奏でした。
武藤さんは、映画「ぬくめどり」の音楽を担当してくださっています。


暗黒舞踏の第一人者、石井光隆さんによる舞踏。土方の弟子であり、その舞踏は、人も空間も解放していきます。そして、TAZUKOさんのベリーダンス。本当に美しくてセクシー。そして夜も深まると、バリトンサックスが・・・。土田さとしさんの深い音色が会場を包みます。贅沢な空間が広がりました。
石井さんの歌も素晴らしかった


Tazukoさんのベリーダンス。鷹狩はアラブが盛んです。


バリトンサックスの土田さとしさん。いつもかっこいい!!


そして、飛び入りは、今年10月に新宿ゴールデン街で開催されたGAW展の主催者、久絽さんがきてくれました。GAW展は8回目、平林、杉浦、友人の石橋満さん、甲斐哲哉さんも参加しました。
お店あるのにありがとうございました!!












2013年12月14日土曜日

新年は浜離宮恩賜庭園の放鷹術でスタート

 
鷹匠の1年のハイライトはなんといっても、1月2日、3日に開催される浜離宮恩賜庭園の「放鷹術披露」。将軍家の御鷹場であった地であり、諏訪流16代花見鷹師も、この浜離宮に住み、日夜鷹匠の訓練をしました。
当日は、田籠師匠、大塚鷹匠はじめ、諏訪流の門下生たちが、日ごろの訓練の成果を披露する大切な実演です。

 
新春の空に鷹が舞う!放鷹術の実演
  日  時  平成26年1月2日(木)・3日(金)*雨天中止 11時・14時(各回約1時間)
  場  所  内堀広場
  参加費  無料(入園料別途)


浜離宮恩賜庭園とは

潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。
旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でした。しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけです。浜離宮は、この潮入りの池や池や鴨場を中心にした南庭と、明治時代以降に造られた北庭とに大別されます。

 
この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。(東京都公園協会HPより転載)




庚申堂鴨場
鴨猟の方法は江戸時代は鷹狩りで、明治以降は叉手網(さであみ)となります。
鴨場が利用されたのは冬鳥が飛来する晩秋から翌年の春先まですが、以下のように鴨等を獲りました。
 1 元溜りにはおとりのアヒルが200羽あまり放されていました。秋から冬にかけて野の鴨が元溜りにおりてきます。

  2 板をたたく音が響き渡ると、餌が引堀に蒔かれます。餌が食べられるので、アヒルが引堀に入ってきます。アヒルの後を野の鴨も後をついてきます。野の鴨はアヒルの後をついていくという習性があるのです。必要な数が入ったら、引起し網で引堀の入口を閉めます。

  3 小覗で鴨の様子を確認し鷹匠やお客様に手信号で知らせます。

  4 鷹匠とお客様は引堀をはさむようにして配置につきます。

  5 小土手に片足をかけ、びっくりして逃げようとする鴨を叉手網(さであみ)で捕獲します。

  6 叉手網をかいくぐって逃げる鴨は鷹匠が放った鷹が捕らえます。逃がすと、この元溜りが危険なところであることを仲間に知らせてしまうので、鷹の役割はきわめて重要でした。

  *アヒルは板をたたく音で引堀に入ってくるよう訓練されています。
 *大覗には元溜り周囲で水鳥を狙っている野生の鷹を捕獲するための仕掛けがありました。
 *鴨場が使われた離宮時代は園内に鷹部屋や鷹師宿舎、鷹匠小屋、調理所などがありました。
                                                   (浜離宮恩賜庭園HPより転載)

小覗

 ここには板と木槌があり、カンカンを音をたてるとアヒルや鴨が引き掘にやってきます。


 引き掘
ここに集まってきた鴨をお客様が叉手網(さであみ)で捕獲します。
捕獲しそこなった鴨を鷹匠が鷹を使い捕まえるわけですが、
鴨が逃げてしまった場合には、この池は危険だと仲間に知らせて
しまうために、鷹匠の役目は重大だったようです。

2013年11月29日金曜日

ぬくめどり 《温め鳥》

2014年春公開!
ドキュメンタリー映画
「ぬくめどり~鷹匠の世界~」
ご案内

 


映画のタイトルにもなった「ぬくめどり」
とはなんでしょうか?

この言葉には、こんな言い伝えがあります

・・・・・・・・
ある冬の寒い夜、鷹が小鳥を捕らえてつかみ、
一晩中鷹は足をあたためます。

翌朝、鷹はその小鳥を放します。

しかし、鷹は、その小鳥が飛び去った方向へ
その日は決して行かないといいます。

・・・・・・・・・・

日本の伝統文化は、その精神性までも描き、
表現する独特の広がりがあります。
この鷹、鷹狩の文化は「鷹狩(放鷹術)」から
美術、文学まで描かれ、将軍や天皇のもと
鷹匠たちによって
今に伝えられてきました。




しかし、今、さまざまな要因から放鷹術が
消えようとしています。

その伝統文化の灯を消してはいけないと
鷹匠たちが、その心と技を受け継ぎ、次の
世代へと伝えています。




鷹の飼育や訓練、鷹狩の実際など
鷹匠の真の姿を追ったドキュメンタリー映画です。
ご期待ください!